「プラネット ・ジャポン」第9号
平田弘史インタヴュー
(聞き手:ヴィルジニー・ブークレル)
平田サン(原文ママ)とのインタビューは、
こちらがどんなに事前に準備してきたところで、その場での真剣勝負が求められる。
氏は心の広い、比類の無い人格の持ち主であった。
話すことのひとつひとつには揺るぎの無い内面が伺い知れ、
これはいつも通りにインタビューをやっている場合ではない。
会話を存分に楽しんで、
話題が転々としていくのに任せよう。
(フランスにおける)最新作『弓道士魂』同様に、
平田弘史は忘れられない印象を残す人物である。
漫画家(原文ママ)というふうに紹介されるのを好まないようですが、
どうしてですか?
漫画という言葉には、ふざけた絵、みだりに描かれた絵、つまりは娯楽のためのもの、
という意味があります。私はそのようなつもりで作品を描いているのではありません。
劇画家(原文ママ)というふうに呼んでいただきたいと思います。
平田作品はもっぱら男の世界を描いています。歴史というのは男性によって
形成されてきたと思いますか?
おっしゃる通り、男性社会でした。昔は、男を支えるのが女性の役割でした。
個人的に、女性を中心に据えて作品を作ることはあまり好みません。
ありきたりの恋愛ものになってしまうと思うからです。とは言っても、
偉大な戦術家の中には、女性たちの意見にきちんと耳を傾けた者もおります。
今日の日本はやはり男性社会のままですか?
原則としてそうですが、変わってきています。退職後に離婚する夫婦が
どんどん増えてきているのはそのためです。
男どもが女性を蔑ろにするからですね。日本の男は幼いばかりではなく、
自分たちの方が女性たちよりも貴重なんだと思っているのが大半を占めています。
私はこのようなものの見方には全く賛成していません。
変えるにはどうすれば良いのでしょうか?
家庭というものを例に取ってみても、女性の地位は男のそれと何ら変わるものでは
ありません。両者は陰と陽、プラスとマイナスのように補い合っているんです。
男は外に出て働き、女は家の中、家族を守ります。
けれどもほとんどの男は自分たちの方が偉いと思っているので、
女性の方がより多くのストレスを抱えます。
これはいけません。私はそのようには考えません。
どの時代が一番興味をかき立てますか? どんな歴史上の人物になってみたいですか?
戦国時代に一番興味があります。信長になってみたいですね。
革新的な人物でしたから。彼は不合理と思われるものの多くを廃止しました。
また、秩序に盲目的に従うことは褒められたものではないと最初に言ったのも彼です。
伝統の中には悪を生み出したものがたくさんあります。
伝統を疑問視できない者たちに、初めて拒否を突きつけたのが信長です。そのために彼は、
独裁者として振る舞わなければなりませんでした。
目下、彼に関する連載作品を進めています。
他人の意見に耳を傾けているばかりでは、凡庸に留まり、何の発展も望めません。
これでは大きな改革は成し遂げられません。
けれどもその一方で、強行的な支配というのもやはり理想的ではないでしょう。
各人が進歩して自らを陶冶しなくてはいけません。
それ以外に社会を良くする方法はありません。
どのような経緯で、弓道をテーマにした作品を創ろうと決められたのですか?
図書館で歴史書を読んでいたところ弓道に関する本に出くわし、
これからひとつ話を作ってやろうと思いました。
資料を読み進むうちに実在した人物たちと多いに共感しました。
そして自分の限界を打ち破るべく己に鞭打つという
主人公を見出しました。現代の社会にあっても、
進歩するためには困難にぶち当たらなくてはなりません。
だから自分自身で自分の限界を決めてしまうようなことは何人もすべきではありません。
障害に出会ってこそ前に進めます。
このような考えを表現するにあたって、『弓道士魂』はまさにお誂え向きでした。
今日、あらゆることが容易になりすぎているというような印象をお持ちですか?
はい、現代社会は軟弱です。
人生、前に進むには困難と出会うことが必要です。
若者たちの閉塞感の主な原因に、悪しき教育と学歴社会からの圧力が挙げられます。
まず何より、子供たちにどうやって生きていったらよいか教える必要があります。
今の政治家たちは皆なっちゃいません。
教育制度の改革をまともに推進できるとは到底思えません。
平田さんの見るところ、(フランスで)漫画を排斥しようとする動きがあるのは
何故でしょう?
排斥派の人たちはいくつかの漫画をあまりに残酷だと捉えています。
日本における残酷の概念というのはたいへん特殊なものです。
「ドラゴンボール」のような漫画やアニメは、
日本人にとって残酷でも何でありません。
そのような反応があるということは理解できますが、
それは私がどうこうできることでもありません。
フランス読者とこれから実際に会うわけですが、どのような心境ですか?
フランス人が日本人よりも、日本の歴史に興味を持っているということですかね。
フランス読者の皆様、期待しております。
「弓道士魂」―人生を賭して―
ヴィルジニー・ブークレル
日本の歴史小説その他には、たった1本の矢で以て1艘の船を沈めたり、
何百メートルも離れた的を見事に射る話など、弓の達人の話がよく出てくる。
「通し矢」なる苛酷な競技によって生み出された英雄たちは、
今現在も京都は壮麗な三十三間堂の庇の下に名を留めている。
120メートルにも及ぶ長さの廊下を、24時間で射通せる限り射尽くす。
この競技においては、日本の第一級の射士たちの技はもとより、
強靭な肉体と精神力が求められる。
羨望の的である「天下惣一」の称号は、
最高の栄誉よりもむしろ切腹へと数多の挑戦者たちを連れていくことになる。
浅岡平兵衛重政 天下一人
関ヶ原の戦いの折り、1本の矢で3人もの敵を同時に倒したと言われる
浅岡平兵衛重政は、その武勲により家康から「天下一人」の褒めの言葉を授かった。
この浅岡こそが通し矢の最初の記録を打ち立てた人物である。
三十三間堂の長い廊下を、柱にも庇にも当たらずに、
実に51本もの矢が渡り切ったのである。
これにより浅岡の属する尾張藩の威光がいや増すことになる。
通し矢は、何より藩同士の争いの道具とされたのだ。
とりわけ共に家康の息子でありながら敵対する紀伊藩と尾張藩の藩主、頼宣と義直は、
この競技を通してその対立の度を深めていく。
通し矢で新記録を樹立することは、
すなわち競争相手に対して優位に立つということであり、
日本で最高の射士を有する藩という名誉に浴することである。
こうして数多くの弓の達人たちが、自らの藩に「天下惣一」の栄光をもたらそうと
苛酷な試練を己に課し、そうして多くの者が自らの命で
失敗という何にも代え難い恥辱を償っていくことになる。
通し矢の記録を塗り替えることができなかったということに耐えかね、
彼らは自らを破滅に追いやったまさに
三十三間堂の廊下の上で切腹して果てるのである。
17世紀の初め、記録はめまぐるしく更新される。
浅岡の第一の記録からわずか30年たらずで、
杉山三右衛門が5044本という驚異的な記録で以て、
一度ならず尾張藩に栄光をもたらす。
見る者たちはこの大記録に仰天し、もはやこれが人間の限界、
新記録達成は何人にも不可能と思われた。
杉山はこうして他の射士たちを多いに手こずらせ、
とりわけ紀伊藩は腰抜けどもの集まりというふうに後ろ指をさされ、
再度歯軋りをすることになる。
下級武士
下士の息子である星野勘左衛門に、
通し矢に参加するという特権が舞い込んで来たことは異例中の異例であった。
厳然と存在する身分差別は、士族階級にあっても
上士・中士・下士という絶対的な住みわけがあり、
星野はこの最下層に位置する。けれども紀伊藩とその藩主は、
何としてでも新記録が欲しく、そのためならば何事をも厭わない構えであった。
父の仇を晴らすため、勘左は弓術指南役、多田惣左衛門の眉間を矢で射通す。
当然死刑となるところであったが、将来の有望射士の片鱗を見出され九死に一生を得る。
こうして指南役、尾林のもとでの苛烈を極めた勘左の修行が始まる。
師の弟子にとっての存在は絶対であり、
師のみが弟子に栄達への道を開くことができるのだ。
勘左は確かな才能を見せ始め、
けれどもそれが上士出身の他の練習仲間の嫉妬を招くことになる。
このため和佐盛右衛門のもとで修行を続けることになった勘左だが、
同時に自分の行く末についての疑問も頭をもたげてくる。
自分の青春、さらには人生を賭してまでも記録の樹立を試みる、
そしてたとえ記録達成が成就されたところでその自分の努力は
遅かれ早かれ他の者に更新される、こんなことに何の意味があるというのか?
一流射士たち皆の究極の目的である天下惣一。
通し矢にはそれに足るだけの正当な価値が果たしてあるのだろうか?
厳格な修行を己に課し完全な克己に徹する、この困難を
成し遂げられる者のみが弓道士魂を垣間見ることができるのである。
堂々たる70歳
70歳になる平田センセイ(原文ママ)は劇画作家であり、
ここには漫画あるいはバンド・デシネという呼称の出る幕はない。
その完成された絵と物語技法は他の追随を許さない。
金銭上の必要からデビューして以来半世紀、氏は漫画家と呼ばれることを拒む。
「劇画」とはレアリスムに依拠するものであり、
平田弘史の場合は何時間も歴史書に埋もれては入念に細部を仕上げていく。
平田は歴史に夢中なのだ。氏の武士を扱った作品において、
レアリスムは赤裸々な残酷を要求する。
これこそが『薩摩義士伝』などの傑出した平田劇画の特色と言える。
「弓道士魂」の場合は、著者自ら寺を訪れ、
廊下の下に這いつくばっては木材や構造の具合を確かめ、
文字通り自分の五感で以て建造物に挑んだ。
また読者に通し矢競技の魅力を余すところなく伝える一方で、
戸田双之進や勘左の口を借りて競技自体に疑義を挟むことも忘れてはいない。
射士の緊張した筋肉には苦痛が走るが、それは同時に引き絞られた弓のように美しい。
「弓道士魂」が抱かせる賞讃は畏れと背中合わせにあるのだ。
週刊誌連載のために驚くべき速いスピードで仕事をこなしていったことには只々
感心するが(これに関しては巻末にユーモアたっぷりに書かれてある)、
一方この作品がフランスで出版されるのに実に30年間も
待たなければならなかったという事実にも驚かされる。
「弓道士魂」をついにフランスに紹介してくれた
アカタ・デルクールに感謝の意を表したい。
464ページ、大きな判形は見事な画力を存分に堪能させてくれる。
他に「週刊少年キング」連載時の担当編集者であった黒川拓二氏の
証言する数々の興味深いエピソードや
著者自身のフランス読者へのメッセージなども収められている。